Founder CEO 小窪
2024/05/02
今日ある本を読んでいて、「自己嫌悪」という言葉に自分がグサグサと刺される感触を覚えた。
「自己検証、自己嫌悪、自己否定の三つがなければ、人間は進歩しない」
私は母親に、かなりポジティブに育ててもらった。
幼少期、自分は引っ込み思案で自分の意思を主張するのが苦手だった。
母は海外で生活していたこともあり、ポジティブな人だった。
「僕なんて。」「どうせ。」
そういった言葉には敏感であり、発する度に注意されていた気がする。
「●●でいい、じゃなくて●●がいいでしょ!」
そのような環境で育った僕は、ポジティブなものの見方を習得したのだろう。
友人が後ろ向きな発言をした時、注意したくなる自分がいる。
「自己検証、自己嫌悪、自己否定の三つがなければ、人間は進歩しない」
この言葉に、私は身を張り倒された。
ポジティブに生きるとは、自分の弱みを覆い隠し無視することかもしれない。
自分の弱みを直視することは苦しいことであり、目を逸らしたいのだ。
弱みを隠し、気付かず忘れ、きらりと笑顔で生きている。
自己嫌悪する人間は弱みを直視し、苦しむ。
身を捩れながらも、自分自身と格闘している。
最後に自分自身と格闘したのはいつだろうか。
著者の意味する「自己嫌悪」を、著者と同じ程度で、私は経験したことがないかもしれない。
自分はなんてつまらない人間なんだ。
そのような感情に浸かる時間が私には必要だ。
「周りと自分は違う」
この感情が、著者にもあると私は感じた。
周囲の人間と共に過ごし感じる違和感。
共同体の掟で生きていけない自分。
ポジティブに生きることは大切だと私は思う。
そうでないと、推進力を持ち続けることができない。
前へ。
自己嫌悪。
高みへ行くには必要だ。
上へ。
前へ進み、そして上に上り詰めるには、
ポジティブと
自己嫌悪。
両輪が必要だ。
ポジティブだけでは想像力が欠如した軽い人物となる。
自己嫌悪が自分の限界値を大きくすると思う。
その著者は幻冬舎社長の見城徹さんだ。
追記)
このブログは、僕のリアルタイムの感情です。
自己嫌悪についてはまだ咀嚼できていないのが正直なところです。
これから出会う方、著者の方にも直接聞きます。
今私が思う自己嫌悪とは、
理想像との相対化で生まれる差分を嫌悪すること
と定義しようと思います。
例えば、
ジムで100kgを持ちあげたい理想に対して、
自分は90kgしか上がらない。
この時、ひどく自己を嫌悪する。
仕事で言えば、シンプルに物事を考えられない自分
決断に時間がかかってしまう自分
そんな自分を過剰に嫌悪する。
自己嫌悪する対象は明確であると思ったのでした。
ベースはポジティブであるべきというのが、今の考えです。
小窪