Founder CEO 小窪
2024/04/12
今日食事を食べている際、東日本大震災の話になりました。
宮城県出身である私は、3.11の話をよく聞かれます。
当時何歳で、何をしていたのか、家族は無事だったか。
小学校3年生だったので、ある程度記憶はあるのですが、鮮明には覚えていません。
いつから日常に戻り、学校が始まったのか。
4年生の担任の先生は誰だったか。
全く思い出せない。
母が親戚の無事を祈り、寝ずに横でラジオを聞いている姿
兄と父が朝、食料を買いに行っていたこと
黒い波に家が飲まれていく光景
親戚のいる気仙沼の土地に行くと、何もない大地が広がっていたこと
そういった光景は覚えています。
金子みすゞの詩や「ぽぽぽぽーん」といったTVCMも覚えています。
そしてもう一つ覚えているのが、当時AKB48から出た曲のことでした。
「風は吹いている」という曲。
聴いてもらえればわかるのですが、ロック調でスパイスのきいた曲に思えます。
当時の私は、どこか怖いような強気の曲に感じ、あまり好きに思えませんでした。
しかし、今聴くと感じ方が全く違く思えました。
この曲が出た当時、毎日余震が続き、身も心も不安定な日々を送っていまいた。
その時代に出た曲の多くは、「負けないで」とか「みんながいる」とか「大丈夫」といった温かく安心感を感じさせるものだったと思います。
そんな中、秋元康先生は「絶望」という言葉を使い、「変わり果てた大地」や「瓦礫」と書き、凄惨な光景をありありとイメージさせます。
「大丈夫」と声を掛けるのではなく、「途方に暮れる」「神様がいてくれれば・・・」と書いた。
そんな時代だけど、風は吹いているし「強く生きるしかない」「やれることを1つ1つ、積みあげることしかできない」「傍観者にならない」とエールを送った。
この詞を書くことに葛藤があったのか、これしかないと思ったのか、疑問ではあります。
批判といった摩擦が生まれることも覚悟していたのではないでしょうか。
それでも、敢えて現実から目を逸らさず、共に乗り越える覚悟を感じさせる強い歌詞を書いた。
逃げないという強い意志を歌詞からも、秋元康先生自身からも感じます。
だからこそ、今でも埋もれることなく僕の記憶に残っていているのだと思います。
この考えは、事業にも通じるものがあると感じました。
事業を作る際、技術の転換点があったかが大切とよく聞きます。
インターネットが普及した、スマホシフトなどです。
同時に、時代の風向きを認識し、何を作り世に出すかという視点を持ちたい。
そこにはセンスであり、自信や覚悟、勇気がいるのかもしれない。
それでも、世に送り出す。
正に起業家のリスクを取るという話と同じに思えました。
小窪